松山市は愛媛県のほぼ中央にある松山平野に位置する愛媛県の県都で、総人口507,399人(R2年4月1日現在)の中核市です。
気候は温暖な瀬戸内海気候で、全体に降水量は少なめ、積雪もごく少量、台風の通過も太平洋側の高知県や徳島県に比べれば少なく、穏やかで恵まれた気候条件です。
松山城、道後温泉、石手寺等の見どころも多い観光地です。
俳人正岡子規、日ロ戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟の出身地でもあります。特に真之は日本海海戦でロシア艦船を撃破した丁子作戦の発案者として有名です。
松山市のご紹介
松山城
松山城は、日本で12か所しか残っていない、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです(現存12天守) 。
現存12天守の中では姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。
戦国武将加藤嘉明公が1602年から築城を開始し、四半世紀掛かって完成しました。
城主は、加藤氏⇒蒲生氏⇒松平氏(明治維新時に旧姓の久松氏)となり明治維新まで徳川幕府の親藩でした。
大宝寺
大宝寺は大宝年間(701年~703年)の創建で、本堂は鎌倉時代初期の建築で国宝に指定されています。堂内の厨子も本堂と共に国宝に指定されています。
写真の大宝寺の桜には次のような昔話が伝わっています。、
ある長者が大宝寺のお薬師様に願かけをして、女の子が生まれ”露”と名づけ、お礼に本堂を建て寄進しました。それが今の本堂だと伝わっています。
お露は美しい娘に成長しましたが、十五歳のとき病にかかり、乳母が「わが命にかえてもお嬢様をお助け下さい」と、お薬師様にお祈りしたところお露は元気になりました。
病快癒のお祝いの席で乳母は倒れ床につ来ましたが乳母は「お薬師様との約束です」と言って薬も口にせず「お薬師様に、お礼として桜の木を植えて下さい」と言い残して死んでしまいました。
長者は、乳母のことば通り、桜を本堂の前に植えました、桜は不思議なことに枝なしに幹から二・三輪花が咲きましたが、その花の色は母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであったとそうです。
そのことから、この桜を「乳母桜」と呼んで今に伝わっています。